天守閣へと上るべく、僕は天守への入り口へと向かって歩いた。
入り口少し前あたりに立て札が立てられていたのを確認し、進む。
すると観光客の方々が、右側へ向かってカメラを構えていた。
「何だろう?」と思って、一歩踏み出しその先を覗いてみると・・
琵琶瑚から彦根の街並みまでが眼下に広がる素晴らしい眺めがそこにあった。
感覚的にはそんなに高い所まで上ってきたという感じはしなかったけど、
実際にはけっこう高いところまで上ってきていたようだ。
素晴らしい眺めのひと時を堪能し、僕は天守内部へと立ち入る。。
入り口で靴を持ってあがると、そこは神聖な場所だといつも思わされる。
中は全体的に薄暗く、ところどころに電気による明かりが灯されているだけ。
なるべく景観を壊さないようにとの配慮だろうか。
入り口から少し進むと、現存する備品などがところどころに展示されていた。
瓦屋根の先端に用いられる「鬼瓦」は、とても厚みがあって重厚さが伝わってくる。
そこから階段を少し上がり、一階にあたる部分へとやってきた。
順路どおりに廊下を進むと、壁の至る所に”くぼみ”が見られる。
「狭間(さま)」と呼ばれるそのくぼみは、先端に取り外しのできる板があり、
戦闘時に、その板を避けることによって城内から鉄砲や弓矢で敵を攻撃できる仕組み。
これなら相手が逆に攻撃をしかけてきても、そう我が身に敵の攻撃が当たることはなかっただろう。
順路どおりに少し進み、広間から廊下を眺める。
ISO1600にて、何とか手持ちで撮れた。
続いて、二階へと上るべく階段へと向かった。
ところが、階段へ着いてみてビックリな事実がそこに・・!
階段はめちゃくちゃ急な角度の造りになっていて、まるではしごのよう。。
設けられた手すりを持ってあがらないと、ちょっとした気が緩んだ隙には
後ろに転げ落ちてしまいそうだった・・^^;
更には頭上にも気をつけないと、頭をぶつけてしまうように柱が横切っていたので、
注意を払って二階へと上る。
二階も一階と同様の間取りが広がっていた。
違う部分と言えば、二階の広間には備品が展示されていたぐらい。
ゆっくり順路どおりに廊下を歩き、三階・天守閣へと上がることに。
階段の脇にはこんな案内が置かれていた。
20年という年月を費やして生まれた彦根城、、実にお城の年齢は今年で「386歳」・・・!!
築400年近くが経っても、現存するだけに留まらず、こうして中を歩けるというのは驚異的だ。
とても高い建築技術を用いられていることが実感できる。
そして階段を上がり、僕は彦根城天守閣へと立った。
天守閣も間取りに大きな違いはなく、広間を囲うように廊下があるというシンプルなもの。
広さはそんなになく、伊賀上野城の方が広い。
ところが、この彦根城の魅力は広さではなく、その建築構造にあった。
まるで波を打ったような大木が、ある部分は下側を。
そしてまたある部分は上側を通っている。
そんなまっすぐではない大木が、巧みに組み合わされ造られている。
一箇所一箇所を寸分の狂いなく合わせていく作業は、とても時間と手間が掛かったに違いない。。
ちなみに、以下は二階部分の広間と廊下の写真。
すべてにおいて二つとして同じ箇所はなく、その巧みさにはもはや唖然とさせられるだけだった・・。
そうこうして造りをしばし眺めた後、僕は天守閣を後にし、再び二階へと降りる。
順路に従って進むと、先ほど書いた二階の広間にある備品の展示コーナーへとやってきた。
それでは、展示されていた備品をいくつかピックアップして紹介してみます。
「瓦釘」
長さは15センチほどだっただろうか。
解説がなかったので、使い方がよくわからず・・^^;
「平瓦」
とても細かく模様と文字が彫り込まれていた。
寛政九年は、西暦でいうところの「1797年」にあたる。
「名称不詳」
肝心の名称を見るのを忘れてしまいました・・(爆)^^;
嘉永四年は、西暦では「1851年」にあたります。
こうして展示された備品を見終えた僕は、順路に従って廊下へ。
すると、窓から入り込んだ日差しが、廊下や壁の一部を静かに照らしている。
この場所に来た時、ふとそれまで聞こえていた周りの音が消えたような気がした。
それまでどこかを見れば必ず視界には人の姿があったが、ここには誰もいない。
まるで時が止まったかのような不思議な感覚に、僕はシャッターを切った。
その後、二階から一階へ降り、出口へ向かい天守を後に。
こうして天守を拝観し終えた僕は、次に天守の周囲を散策してみることにするのだった・・
【第五話】へ続く・・・
入り口少し前あたりに立て札が立てられていたのを確認し、進む。
すると観光客の方々が、右側へ向かってカメラを構えていた。
「何だろう?」と思って、一歩踏み出しその先を覗いてみると・・
琵琶瑚から彦根の街並みまでが眼下に広がる素晴らしい眺めがそこにあった。
感覚的にはそんなに高い所まで上ってきたという感じはしなかったけど、
実際にはけっこう高いところまで上ってきていたようだ。
素晴らしい眺めのひと時を堪能し、僕は天守内部へと立ち入る。。
入り口で靴を持ってあがると、そこは神聖な場所だといつも思わされる。
中は全体的に薄暗く、ところどころに電気による明かりが灯されているだけ。
なるべく景観を壊さないようにとの配慮だろうか。
入り口から少し進むと、現存する備品などがところどころに展示されていた。
瓦屋根の先端に用いられる「鬼瓦」は、とても厚みがあって重厚さが伝わってくる。
そこから階段を少し上がり、一階にあたる部分へとやってきた。
順路どおりに廊下を進むと、壁の至る所に”くぼみ”が見られる。
「狭間(さま)」と呼ばれるそのくぼみは、先端に取り外しのできる板があり、
戦闘時に、その板を避けることによって城内から鉄砲や弓矢で敵を攻撃できる仕組み。
これなら相手が逆に攻撃をしかけてきても、そう我が身に敵の攻撃が当たることはなかっただろう。
順路どおりに少し進み、広間から廊下を眺める。
ISO1600にて、何とか手持ちで撮れた。
続いて、二階へと上るべく階段へと向かった。
ところが、階段へ着いてみてビックリな事実がそこに・・!
階段はめちゃくちゃ急な角度の造りになっていて、まるではしごのよう。。
設けられた手すりを持ってあがらないと、ちょっとした気が緩んだ隙には
後ろに転げ落ちてしまいそうだった・・^^;
更には頭上にも気をつけないと、頭をぶつけてしまうように柱が横切っていたので、
注意を払って二階へと上る。
二階も一階と同様の間取りが広がっていた。
違う部分と言えば、二階の広間には備品が展示されていたぐらい。
ゆっくり順路どおりに廊下を歩き、三階・天守閣へと上がることに。
階段の脇にはこんな案内が置かれていた。
20年という年月を費やして生まれた彦根城、、実にお城の年齢は今年で「386歳」・・・!!
築400年近くが経っても、現存するだけに留まらず、こうして中を歩けるというのは驚異的だ。
とても高い建築技術を用いられていることが実感できる。
そして階段を上がり、僕は彦根城天守閣へと立った。
天守閣も間取りに大きな違いはなく、広間を囲うように廊下があるというシンプルなもの。
広さはそんなになく、伊賀上野城の方が広い。
ところが、この彦根城の魅力は広さではなく、その建築構造にあった。
まるで波を打ったような大木が、ある部分は下側を。
そしてまたある部分は上側を通っている。
そんなまっすぐではない大木が、巧みに組み合わされ造られている。
一箇所一箇所を寸分の狂いなく合わせていく作業は、とても時間と手間が掛かったに違いない。。
ちなみに、以下は二階部分の広間と廊下の写真。
すべてにおいて二つとして同じ箇所はなく、その巧みさにはもはや唖然とさせられるだけだった・・。
そうこうして造りをしばし眺めた後、僕は天守閣を後にし、再び二階へと降りる。
順路に従って進むと、先ほど書いた二階の広間にある備品の展示コーナーへとやってきた。
それでは、展示されていた備品をいくつかピックアップして紹介してみます。
「瓦釘」
長さは15センチほどだっただろうか。
解説がなかったので、使い方がよくわからず・・^^;
「平瓦」
とても細かく模様と文字が彫り込まれていた。
寛政九年は、西暦でいうところの「1797年」にあたる。
「名称不詳」
肝心の名称を見るのを忘れてしまいました・・(爆)^^;
嘉永四年は、西暦では「1851年」にあたります。
こうして展示された備品を見終えた僕は、順路に従って廊下へ。
すると、窓から入り込んだ日差しが、廊下や壁の一部を静かに照らしている。
この場所に来た時、ふとそれまで聞こえていた周りの音が消えたような気がした。
それまでどこかを見れば必ず視界には人の姿があったが、ここには誰もいない。
まるで時が止まったかのような不思議な感覚に、僕はシャッターを切った。
その後、二階から一階へ降り、出口へ向かい天守を後に。
こうして天守を拝観し終えた僕は、次に天守の周囲を散策してみることにするのだった・・
【第五話】へ続く・・・